今村岳司さんのブログから
以前紹介させていただいた今村岳司さんのブログからの転載です。ぜひ、読んでください。
2011-03-21
「被災した人のほんとうの気持ちは被災した人にしかわからない」ということでした。
もっというなら、他人のことを他人が理解できるわけがない、
ということでした。だから、被災して自分より悲惨な状態になっている人のために、
被災者の自分ができることをしなければならないと思いました。
それはその人のためではなくて、被災者として、同じ日本人として。
彼らへの憐憫や自分への返報を理由とするのではなく。
私は家を焼いた「だけ」で、愛する人を亡くした人たちもたくさんいる。
私は家を焼いた「だけ」で、怪我ひとつ負っていない。
そして、私は家を焼いた「だけ」で、生きている。
私がしなければいけないことが、ここにあるはずだ、と思いました。
人を恨む前に、自分だってそうだったことを思い出せよ、と自分に言い聞かせました。
「奥尻島のときの自分だって、外国の出来事や映画を見るみたいに他人事だったじゃないか」
たくさん悔しいことがあると思いますが、誰も恨まないでください。
緊張感のないボランティアも、いい画を撮りたいだけのマスコミも、
対応が後手に回る東京電力や政府も。
彼らにだって悪意があるわけではないですし。
彼らを赦してあげてよ、とかではなく、
自分が失ったことより、自分が人を恨んだことのほうが、
あとに尾を引いて遺るからです。
私がブログに書いたように、16年経って思い出されるのは情けないことにそればかり。
(もちろん、ほんとうに愛する人を亡くした人や、身体が不自由になってしまった人は、
あとに遺るのはもっと深い悲しみだと思いますが。)
あらためて、私があなたにできることがあるという思い上がりはありません。
私には、私のできることを私の場所ですることしかできません。
そのような、私にできることがあるのであれば、ご連絡ください。
■ 一隅を照らす ~ 私には私の命を賭けて戦うべきところがあって。
震災いらい、連日報道されることが気になって、ずっと気が滅入っていました。
でも、自分が知らなければならない情報など限られていると思ったので、
一昨日から基本的に震災に関する報道は見ないことにしました。
この災害に関して、西宮市議会議員としての私がしなければならないことは、
西宮市が被災地と日本に対してできることを考え、提案し、実現していくことだけなのです。
それだって、非常に限られたものなのです。
そして、それより自分がしなければいけないことは、
西宮市議会議員として西宮に対してすべきことだと割り切りました。
私のすべきことは、震災のニュースに心を痛めて気を滅入らせることなどではないのです。
気持ちを入れ替えて、震災の前の日までやっていたことを、
同じ以上の気持ちで集中してやることにしました。
■ ■ ■ ■
きのうで、西宮市内20万世帯への市政報告全戸配布5周目を完了しました。
85日間で100万枚、ぜんぶ自分と数人の若い友人たちと、手配りで配りました。
小雪の日も小雨の日も、朝7時から晩6時まで休憩なしで、
1時間に平均300軒、毎日30キロ走って配り続けました。
日に日に100平方キロの西宮が狭く感じるようになっていきました。
■ ■ ■ ■
愛想を振りまいたり、握手してまわったり、人づての紹介を頼ったり。
それがいわゆる世の一般的な政治です。
すべての市民に政策を伝えて、それを評価・判断してもらう間接民主政治。
それは、理想であり、むしろ現実的に不可能なものだと思われています。
だから市民は「政治家は選挙のときにあたまを下げるだけ」と言い、
政治家は「市民に政策を訴えてもしかたない」と言い。
みんなが、いまの政治やいまの選挙を諦めています。
私はその日本の政治じたいを変えるためにやっているのです。
「選挙前はたいへんだね」とよく言われます。
でも、来月の市議会議員選挙で再選するためだけなら、100万枚の市政報告は必要ないんです。
規律正しい生活をして、数年前から節制をして身体を10キロ以上も絞って、
魂を削って政策を書いて、一般的な幸せを捨てて、いろいろなものの矢面に立って、
そこまでして手に入れたいものは、「次の任期」だけなどではないのです。
16年前に被災して、日本のために生きようと思って政治家を志した私が
手に入れたいものは、あたらしい政治なのです。
矜恃と敬意と英知に満ちた、気高い政治なのです。
■ ■ ■ ■
最澄は、「一隅を照らす、これ則ち国の宝なり」と言いました。
少なくとも、自衛官や消防士や発電所の技術者や機動隊は
文字どおりの命がけで、一隅を照らしています。
現地の被災地の自治体職員だって、多くは自分だって被災者なのに、
それぞれの持ち場で、一隅を照らしています。
被災地で一隅を照らしている彼らと同じくらいの輝きで、
自分はいま一隅を照らしているだろうか、
そう思うと、もっとできるはずだ、と思えるのです。
一瞬集中を切らせば、ちょっとでも諦めたら、何万人が死ぬかもしれない。
ちょっとした迷いが、逃げが、怖れが、何万人を殺すかも知れない。
あと一歩の踏ん張りが、あと少しの自己犠牲が、何万人を救うかも知れない。
そんなところで彼らは闘っています。
同じ日本人である彼らは、日本の期待を背負って闘っているのです。
そしてきっと、極限状態で研ぎ澄まされた彼らはそんなことを考える余裕すらなく、
目の前のことと本能的に闘っているんだろうと思います。
そして、日本中の期待と祈りを受けて闘う人が被災地にいるように、
私には西宮48万の期待と祈りを受けて闘う場所があるのです。
明日は、市議会3月定例会の最終日です。
討論を2件する予定です。
それが、4年前に5187票いただいて始まった議員3期目で
最後の本会議場での仕事になると思います。
■ 【追記:2011.03.16】(TOPページに掲載したものを一部修正)
このサイトは、日頃は一日200人弱ほどのお越しをいただいておりますが、
自分の知らないところでご紹介いただいたことから、
ここ数日は1日に10万人の方にお越しいただく事態となってしまいました。
そのため、一部の方にはお越しいただいたのに
ページが表示されないなどのご不便をおかけいたしましたことを
お詫び申し上げます。
直後にdiaryのページを軽いHTMLにすること、
ヘッダ画像の解像度をおとすことによって、
若干負荷を軽減する対応を取らせていただきました。
3/13,3/14のdiaryに記載の内容は、
被災者を代表してなされたものではなく、
どこまでいっても一被災者が自分の被災体験から申し上げた内容とご理解ください。
私に語ることができるのは私が経験した内容であり、
あくまで主観的な記述であることを、申し上げておきます。
また、転載依頼・感想・賞賛・非難から脅迫に至るまで、
捌ききれない量のメールをお寄せいただいておりますが、
これ以上の対応は本来の業務に差し障りますので、
それぞれへの返信はこの追記を以て代えさせていただきます。
個人で運営しているサイトですのでご理解ください。
数多くの共感のご連絡、ほんとうにありがとうございました。
同じ想いを持たれていた方がこんなにたくさんいらしたのか、と思いました。
また、「こちらから安否確認の通信をしないこと」と
書かせていただきましたことに関しては、
電話と違ってネットによる安否確認は問題ない
というご指摘をいただきました。
完全に16年前の経験に基づいた記述ですので、不勉強でした。
訂正させていただきます。
きょう(初掲時)も西宮市役所から支援のための職員が進発しました。
まだいまのところは私にできることは、
彼らに想いを託すことと祈ることしかありません。
改めて被災地のみなさまにお見舞い申し上げるとともに、
命懸けの職務にあたっておられる
すべての救援・復興関連のみなさまの無事を祈念申し上げます。
【さらに追記】
「やれることは募金くらいしかないんだ」に近い趣旨のことを書きましたが、
いよいよいろいろな公的機関などがボランティアや物資の提供を募集し始めています。
協力できることから、やりましょう。
野球選手が何億円の寄付をした、というようなニュースがあります。
「それなら私の小銭の寄付なんて…」と思うかも知れません。
それは違います。
何億円納税している人もいれば、
税金をたくさん納めているわけではない人だっています。
それは、同じ日本人としてそれぞれがそれぞれの責任を果たしているだけです。
応能負担。
東日本で絶望と孤独にある人たちに対して何かしようという気持ちは、
すべての人は同じなずです。
ならば、それぞれのできる範囲においてそれぞれが寄付をすればいいと思います。
だから、「政府、各自治体、身元のしっかりした組織や企業の呼びかける募金」
に協力しようと呼びかけています。
大きなところが集めた募金なら、
大スターの何億円の寄付も、子供がお小遣いから出す何十円の寄付も、
いっしょくたになって大きな金額となって被災地の支援に廻ることになります。
どのお金持ちの納めた税金がどの橋になった、とか、そんなのがわからないのといっしょ。
お金は一円だってムダにも邪魔にもなりませんし、
色さえつかなければ被災地を傷つけることもないからです。
■ 被災地への積極的な支援を市に申し入れしています。
災害直後より、市長に対して、
被災地への積極的な支援を申し入れしてきました。
市長もそれに応えて積極的な支援を始めていただいています。
これまでに申し入れしてきた内容をまとめて
文書で申し入れとして提出いたしました。
なお、申し入れした内容のうちいくつかはすでに対応が決まっている他、
市長からさらに対応を進めるとの直接の返事をいただいております。
●救援物資の受付
※未使用、未開封のものに限ります。
阪神淡路大震災のときに、
避難所の片隅に、誰も使えないような
シミだらけの毛布が大量に積まれていたりしました。
避難所にいる人たちは、この間まで普通の生活をしていた同じ日本人です。
彼らはすべてを奪われています。
被災地ではなくても、東日本の人たちは、
私たちとは較べようもない不安の中でいまも生活しています。
直接的な不便もたくさんあると聞いています。
だから、被害も不便もない西日本からできること、
16年前に日本全国から支えてもらった私たちができること、
それが何かを、ぜひすべきだと思っています。