東日本大震災を受け様々な支援物資が東北地方へ送られておりますが、レトルト食品の代表的存在であるカレーも被災地で活躍しています。インド発祥の料理にして、今や日本の国民食と呼ばれるようになったカレーは、1859年にイギリス船によって伝えられて以来、瞬く間に人気が広まったと言われておりますが、なぜこれほどまでに日本でカレーが受け入れられたのでしょうか。

一つは「米と一緒に食する西洋料理」だったことです。日本最古のカレー料理のレシピには、どの料理にも「カレー粉に小麦粉を混ぜる」という共通した特徴がありますが、この調理方法はインドのカレーには見られないもので、アレンジを加えたのは日本にカレーを伝えたイギリスなのです。当時イギリスはベンガル地方を拠点に勢力を拡大しつつあり、ベンガル地方の主食である米と、カレーの素となる複数のスパイスを混ぜた調味料を持ち帰りました。これが「カレー&ライス」の形となり、イギリス本国で小麦粉が加えられたものが日本に広まったのです。そしてもう一つは、カレーが非常に応用の利く料理だということです。カレーはスパイスの集合体であるがため味にパンチがあり、スパイスの配合を変えて味を調整することもできますので、合わせる食品に合ったカレーを生み出すことができるのです。このカレー独自の特性が、定番のカレーライスにとどまらず、様々なカレー料理を生み出してきました。

このカレーライスが国民食とまで言われるようになった背景には、江戸時代の庶民が慣れ親しむ二つの料理がありました。一つは、ご飯に汁物をぶっかける「ぶっかけご飯」、もう一つは、汁に小麦粉をまぜて麺にかける「あんかけ麺」です。カレーライスは、
この二つの庶民料理を組み合わせてできた「日本初のあんかけご飯」だったのです。そして全国各地に広がったカレーは、大きな産業へと発展し、日本の高度経済成長の引き立て役として日本経済を支えてきました。

多種多様な商品が存在しているカレーは、その変化自在の未知なる魅力が日本人の食への探究心をかきたて、西洋料理でありながら親しみを持って受け入れられ、一大カレー文化を築き上げるに至りました。日本には、資源がなくても外来品を一大文化にまで築き上げる力があるのです。景気低迷が続く日本に、新たな文化と産業を創造したカレーのような救世主が現れることを大いに期待しています。

以上アルフィックス情報  4月1日(金)より

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